2020年の11月中旬に、岐阜での仕事の帰りに足を伸ばして、高山はやわい屋さんを訪れました。
2019年にEテレ趣味どきっ!「私の好きな民藝」で、長野県松本と併せて特集された岐阜県高山の民藝の中で紹介されていたやわい屋さん。
築150年の古民家を移築して、自宅兼店舗として営業されている店主 朝倉圭一さん。
「暮らしながら働くことに憧れていました」と、仕事と暮らしを分断させずに生きていく方法を模索しているという朝倉さんに、放映後ずっとお会いしてみたいと思っていました。
訪れたのは、少し西陽が傾き始めたころ。
「いらっしゃい。どうぞ手に取って見ていってください。」
最初にご挨拶を交わして、朝倉さんは何かパソコンと向き合っていらっしゃったので、私たちもそれぞれにじっくりと器やガラスを眺め、手に取り、やわい屋さんの世界観に浸ることができました。
「いいですね、じっくり、いいです」
心に響くような、初めて見るのに手に馴染むような器、我が家の食卓に自然と馴染むような器と出会えるのか、それぞれが無言の対話をしている私たちに朝倉さんがぽつりと呟いてくれました。
入口の大きなガラスのある引き戸が、外の景色を縁取る額縁のようで、
差し込む西陽がつくるガラスの影があまりに美しくて、写真を撮らせていただくのも忘れて見惚れました。
これぞと思う器に心を決めて、その作り手さんのことを尋ねたことをきっかけにして、朝倉さんから言葉が溢れ出るような交流の時間。
「当たり前ってどういうことなのか、よく考えるんです」
「選べるというのは、とても良いことですよね」
「例えば100万円で誰かを応援するとして、10万円ずつを10人に送るより、50万円で2人を応援したいと思っています。だからうちで扱う作り手さんはそんなに多くないです。そしてできればこの近隣で、顔の見える、直接訪れて仕入れさせてもらえる、若い作り手さんとつながっていたいと思っています」
「今みんな、忙しい忙しいって言うけれど、その忙しいって何なのでしょうね。」
訪れて一ヶ月が過ぎた今も、日々のふとした瞬間にこれら朝倉さんの言葉が思い出されます。
インスタグラムの写真は朝倉さんが撮っているそうです。
「よく、誰が撮っているんですかと聞かれるのだけど、特段何もこだわりなく、普通に撮っています。殊更きれいに見せようと思っていないし、ありのままをそのままでいいと思っていて、人も暮らしもありのままがいいんだと伝えたいですよね」
日々の暮らしの中にある日用品の中にこそ飾らない美しさを見出した民藝の思想を連想しました。
器などの日用品を手に取り、実際に使いながら、民藝の思想に触れるたびに感じるのは、名もない庶民の、ささやかな、時に翻弄され、もがきながら、なんとかやりくり過ごす連綿とした営みを、「それでいいんだよ、それが尊いんだよ」と背中に手を添えてくれるような肯定感。
そんな肯定感を朝倉さんの言葉の奥に感じました。
「よく、こんな立派な古民家をどうして壊して、新しくしてしまうのか?と言いますね。この(自宅兼店舗の)古民家は、店舗部分は昔は牛を飼っている場所でした。その当時はきっと臭いもすごかっただろうし、衛生的にも決して良くない劣悪な住環境だったはず。それを必死で新しくきれいな環境を掴み取ろうとしてきた先人たちに、悪気はなくても安易に、どうして壊したのか?とは絶対に言えないと、僕は思うんです」
このお話を聞いたとき、私は近所の87歳のおばあちゃんのことを想いました。
「えらい、えらい」(甲州弁で「大変だ」「しんどい」という意味)と何度も何度も繰り返し、腰が曲がって、畑を四つん這いになって草取りしている姿。「食べることは、えらいじゃんね」と繰り返しながらも、最後には「でも自分で作った野菜を食べているのが一番良いよ」と笑うおばあちゃん。その背後には戦時中の食糧難でのひもじさが、今も強烈に薄れることなく、畑に駆り出す原動力なのでしょうか。
このコロナ禍にあって、今また民藝の思想が注目されているそうです。それは「民藝の生活品を買い求めて、使いましょう!」ということではなく、モノを通して暮らし方や生き方を見つめ、民藝の思想の中にヒントを見出し、真に大切なこと、大切にしたいことは何なのかを自分と暮らしの中から探っていこうとすることでしょうか。
今回我が家に迎えたのは、山上窯さん(長野県高遠)の器と、安土さん(岐阜県高山)のグラス。
西陽がつくる影の美しいグラス。
「このグラスで今年つくった梅酒を飲もう」
それを手にしている自分の暮らしが自然と連想できることが選択の条件になっている私たちにとって、とても自然な、嬉しい出会いとなりました。
もう一つ。安土さん作のガラスのペンダントライト。とても惹かれるのだけど、我が家の取付けたい場所も思い浮かぶのだけど、配線の関係で実現の見通しがもてずに、今回は断念。
すっかり陽が暮れて、屋内の光景が窓ガラスに映る時間帯になるまで話し込んでしまいました。安土さんのペンダントライトのオレンジ色の温かな灯りが窓ガラスに映り、滞在したどの瞬間も陰影が印象的なやわい屋さんでした。
訪れた後、すっかり日常の雑事や冬支度にあたふたする私たちの暮らしを、朝倉さんの言葉はペンダントライトの灯りのようにそっと照らしてくれています。
追記
私たちが訪れた時に、朝倉さんがパソコンに向かって書いていたのは民藝について講演するための原稿だったそうです。なんと帰り際にプリントしてくださり、頂戴しました。
タイトルは「これからの民芸運動について」
その中にある、朝倉さんが「柳(宗悦)の言葉で僕が一番いいと思うのは」と前置きして読み上げてくれた一説をシェアします。
無学であり貧しくはあるけれど、彼は篤信な平信徒だ。なぜ信じ、何を信ずるかをさえ、充分に言い現せない。しかしその素朴な言葉の中に、驚くべき彼の体験が閃いている。手にはこれとて持物はない。だが信仰の真髄だけは握り得ているのだ。彼が捕まえずとも神が彼に握らせている。それ故に彼は動かない力がある。
私は同じようなことを、今眺めている一枚の皿についてもいうことができる。 柳宗悦