2020年5月28日 ひだまり暮らしの「暮らしの田んぼ」では無事にお田植えをすることができました。
SNSでお田植えの様子を投稿したのですが、書ききれなかった思いも綴っておきたくなりました。
私たちはお米農家ではありません。しいて言うならば「自給農」という表現が近いのでしょうか。私たちが一年分食べるため+αのお米をつくっています。ですから「暮らしの田んぼ」と表現しています。
そしてそれをSNSなどで発信をするのは、「お米がどんな風に栽培されているのか?」いろんな農法、いろんな規模の田んぼがある中で、ひとつの営みを紹介し、
それを通して稲の命をいただく「お米」に少しでも思いを馳せていただきたいなぁという思いからです。
我が家のお米づくりは無農薬無施肥で、自然栽培という農法に一番近いです。
お米づくりというとお田植えや稲刈りばかりがクローズアップされますが、命を育むというのは毎日毎日の地味な作業の繰り返し。(子育てもそうですよね)
お田植えが「ハレの日」だとするならば、土づくりや粗起こし、育苗のための塩水選抜から、籾おろし、毎日の水やり、そして代掻きなど、数え上げたらきりがない程の地道な作業は「ケの日」でしょうか。
お田植えの前夜、夫が「ようやく、お田植えだね」とつぶやいた言葉にいろんな思いが滲み出るようでした。
今年は育苗を2パターンで比較検討しています。
育苗トレーを使ってプールで水を調節するのと、畑の土に籾おろしした「陸苗代」。
今春は籾おろし後の4月中旬から朝晩の気温が低い日が続き、保温のための対策をする必要性を実感しました。
陸苗代の苗はお田植えの前に掘り起こして、土を洗いおとして、田んぼに持って行けるようにする「苗取り」する必要があります。これが私の体勢の問題なのか腰が痛くて痛くて。育苗トレー約3枚分の苗を取るのに4時間もかかってしまいました。
時間と労力と効果とを全て考慮し、バランスをとりながら、毎年試行錯誤を繰り返しています。ひとつひとつの工程を終えるごとに考察し、記録をしています。
さぁ、お田植えです!
今年はラインを使って植える方法に戻してみました。
まっすぐにキッチリ植わっていないと、その後の除草作業がより大変になってしまうのです。
この方法だと、田んぼの土に跡をつけてから植える方法(昨年まで2年間やっていた方法)よりも倍以上もぬかるんだ泥の中を歩くことになり、相当に体力を要しました。
田んぼの両端でラインを決めるために、私たち二人の息を合わせます!頑張った分、かなりまっすぐに美しく植えることができました。
お田植えの日恒例となったおにぎり🍙昨年のお米を食べながら、今年のお米を眺める贅沢なひととき。
大好きな映画「リトルフォレスト」のオマージュ。映画の中では胡桃ご飯でおにぎりを作って畔で主人公いち子が美味しそうに頬張っています。今年こそ胡桃ご飯でおにぎりにしようと思っていましたが、前日の準備で疲れ果ててしまい、今年も見送りになってしまい残念。来年こそは!
にわか雨の中も作業続行。最後の段のときには腰の痛みが限界を過ぎて無の境地に。
ただひたすらに、淡々と、植え続けました。
仕事などの予定もあり、どうしても終えてしまう必要がある作業はいつも時間と追いかけっこです。
お互いに体調を気遣い、「大丈夫?あと少し、頑張ろう!」と声掛けをしながら、ふと昔々にフルマラソンを走った時のことを思い出しました。「一度休憩してしまったら、もう走りだせなくなってしまうだろうから、止まらずに行こう」と歯を食いしばったことを。
「お米づくりは神事である」ときいたことがあります。
土や水、お天道様など自然に対しての畏敬の念、
地主さんや田んぼのご近所さん、いつも応援してくれる近所のおじさんへの感謝、
食べるものは全て命であり、命をいただいて生かされていることへの感謝、
気づけていないかもしれないたくさんのお蔭様の存在。
たくさんのことを教えてくれて、学ばせてくれるお米作りは、確かに何かに捧げるような一面もあるのかもしれないと、作業追い込みの無の境地の中でふと感じました。
だから「田植え」に「お」を付けて「お田植え」と言いたくなるのかもしれませんね。
全部を植え終わった後、なかなか伸ばせない腰をイテテテと伸ばしながら眺める光景は、それはもう感無量でした。
一人残って、ラインが届かない隅の場所を植えて、電柵も最終チェックしてセットし、後片付けもして夫が帰宅した頃には真っ暗になっていました。
お田植えは大きな節目の作業とはいえ、お米づくりはまだ始まったばかり。
翌朝からはいよいよ水見に一日に2回、田んぼへ通う毎日が始まります!